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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2772号 判決

原告

菊地都恵

右訴訟代理人弁護士

大宅美代子

被告

植田智史

右訴訟代理人弁護士

上坂明

能瀬敏文

池田直樹

舩冨光治

右上坂明訴訟復代理人弁護士

小野裕樹

被告補助参加人

富士火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

葛原寛

右訴訟代理人弁護士

藤田良昭

野村正義

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、金三六六七万二四四一円及びこれに対する昭和六二年四月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が普通乗用自動車(以下「被告車」という。)を運転して交差点を左折しようとした際、左折先の道路左端を歩行していた原告と衝突し、原告が負傷した事故について、原告が被告に対して、民法七〇九条に基づく損害賠償を請求したものである。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

日時 昭和五八年一月二九日午後二時四〇分ころ

場所 大阪府四條畷市雁屋南町二七―三五先交差点付近

態様 被告が被告車を運転して交差点を左折しようとした際、徐行して左方道路の安全を確認して左折すべき注意義務があるのに、これを怠り、道路の安全を確認することなく大まわりで左折したため、左折先の道路右側の歩行者と接触しそうになり、あわてて急にハンドルを左へ切りすぎた過失により、折から左折先の道路左端を歩行していた原告に被告車の左前部を衝突させて、路上に転倒させた。

2  責任

被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故に関して原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害の填補

原告は、本件事故に関し、一四九三万六〇四〇円の支払を受けた。

二  争点

原告の損害額(治療費、入院雑費、入院付添費、交通費、休業損害、逸失利益、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、弁護士費用)(原告は、本件事故によって椎間板ヘルニアが発症し、これによって坐骨神経を損傷した結果、腓骨神経麻痺となり、右足外側の知覚障害、内反尖足の変形を来たし、これによって右足の歩行障害が生じたもので、昭和六一年を症状固定時期とする腰痛、右下肢のしびれ、知覚障害、右下肢の運動障害、右足の変形による自賠法施行令二条別表七級四号に該当する後遺障害が残存しているとして、これを前提とする逸失利益、後遺障害慰謝料を請求する。これに対して、補助参加人は、椎間板ヘルニアは原告の既往素因である椎間板変性によるもので、本件事故との間に相当因果関係がなく、原告の後遺障害は、同別表一四級一〇号に該当する程度であると主張するとともに、平成五年五月に原告の歩行状態等を撮影したビデオテープによれば、原告は、ごく普通に歩行しているのであって、少なくとも現時点では、原告には内反尖足、跛行等の歩行障害がないと主張する。なお、原告は、右ビデオテープは、編集の段階で、補助参加人側に不利な部分を故意に削除したもので、信用できないと主張する。)

第三  争点に対する判断

一  証拠(甲一ないし八、一四ないし八〇、八七ないし一四七、三五二ないし三五八、三六〇ないし三七八、三八〇ないし四四六、四四八、四四九、四五三、四五四、検甲一ないし九四、丙四、検丙一の1ないし5、二の1ないし20、三の1ないし18、四、五、証人小野村敏信、第一、二回原告本人、鑑定)によれば、以下の事実が認められ、第一、二回原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用できない。

1  本件事故状況

被告は、被告車の左前方約二メートルの地点を同方向に歩いている原告を発見し、急ブレーキをかけたが、約二メートル進行して原告に衝突し、右衝突地点付近で停止した。このため、原告は、右衝突地点から約0.6メートル先の地点に転倒した。

2  徳州会野崎病院

原告は、本件事故当日、徳州会野崎病院で治療を受けた。原告は、右初診時に、右頸部、右腰、右肩、右胸部、両足に痛みを訴えており、右肩、右胸部肋骨、腰椎に対するレントゲン検査の結果、骨折は認められなかった。そして、右病院の医師は、右肩、右胸部、腰部、両下肢打撲の病名で、約一週間の通院加療を要する見込みであると診断し、湿布、投薬等の治療を行った。本件事故から四日後の昭和五八年二月二日当時、原告は、医師に対して、右手が上がるようになったと述べ、同月四日当時、大分楽になったと述べ、同月一〇日当時、右肩の痛みはなく、右腰は、朝一時間程度は曲げたときに痛みがあり、右足関節から足指にかけて鈍痛と、足指が動かしにくいと述べ、同月一六日当時、腰痛と、階段などで右足に痛みがあると訴えていた。その後、原告は、同月二六日当時、腰痛と右下肢のしびれを訴え、右病院の医師に対して、佐藤治療院への転院を希望した。これに対して、右医師は、針治療の内容が不明であるため佐藤治療院での治療の適否に責任が持てないと説明した。

3  佐藤治療院

原告は、同年二月二六日から昭和六〇年四月二〇日までの間、ほぼ二、三日に一回程度の割合で佐藤治療院に通院して、指圧、低周波治療、温熱療法等による治療を受けた。

4  愛和クリニック

原告は、昭和五八年三月七日に愛和クリニックで受診し、全身打撲症と診断された。そして、原告は、右初診時から昭和六〇年四月三〇日までの間、愛和クリニックに通院(実日数四九九日)して、理学療法を主とする治療を受けた。愛和クリニックの医師は、原告の症状について、打撲の影響は右半身に強く、右肩鎖関節の亜脱臼のため右上肢の前方挙上の制限があり、右側の股関節、膝関節、足関節、趾関節が神経障害のため運動制限が認められ、また、右下肢の膝関節の上方一五センチメートルから趾尖部まで温、痛覚、触覚ともほとんど失われ、この知覚障害は内側より外側の方が強く、さらに、右下肢の短縮が認められるとし、これらのため、立ち仕事が困難で、跛行があり、症状は徐々に進行しているように見受けるとの判断をしていた。

5  国立大阪病院

原告は、愛和クリニックに通院中の昭和六〇年一月一四日に国立大阪病院で受診した。右初診時に、原告には、腰背部痛と右下肢の運動知覚障害が認められた。そこで、原告は、同年四月二三日に右病院に入院して精密検査を受けた結果、腰椎椎間板ヘルニアが認められ、外傷性脊髄障害と診断された。そして、右検査結果に基づいて、右病院の医師は、腰椎椎間板ヘルニアが右症状の原因のひとつに関与しているものと判断し、同年五月一七日に第四、五腰椎の髄核摘出術と第三、四腰椎の椎弓切除術を行った。しかし、右手術後も、原告には症状の改善が認められず、同年八月五日に右病院を退院した。

6  症状固定の診断

国立大阪病院の医師は、原告の傷害が、昭和六〇年八月五日に症状固定した旨の後遺障害診断書を作成した。右症状固定日と診断された当時、原告には、両肩から腰背部にかけてと、右臀部から下肢全体にかけて、一日中痛みがあり、頭痛、後頭部痛に悩まされ、右股関節部、臀部、大腿部から足背、足指にかけてしびれがあり、これらの部分の知覚がほとんど分からず、右手第二、三指のしびれがあり、握力も低下し、右下肢の筋脱力のため、歩行時に右下肢に力が入らず、右下肢を引きずって歩き、階段では自力で昇降するのが極めて困難で、椅子もまっすぐには座れないとの自覚症状があった。また、他覚症状としては、右下肢の腱反射の低下が認められたが、病的反射はなく、右第五胸髄節以下の知覚低下があり、とくに、右足背部は正常の五分の一程度しか分からず、ラセグー症候は強陽性で、坐骨神経痛様の痛みが認められ、右股関節周囲筋、膝の伸展、屈曲力、足関節の背屈力、底屈力の低下があり、歩容は下肢をまっすぐにしてぶん回すようにしており、足関節は内反尖足位をとっており、屋外ではステッキなしでは歩きづらい状態であった。しかし、単純レントゲン検査、ミエログラフィー、CT、NMR―CTなどの諸検査では、右各症状を説明できるような所見はなかったが、EMGでは、右下肢筋に神経原性の変化が認められた。

7  鑑定人による診察

原告は、平成三年六月一五日に、本件訴訟の鑑定人(大阪医科大学の医師)の診察を受けた。右診察の際、原告は、腰痛、右下肢の運動障害、右足の変形、排尿障害を訴えており、歩行には一本杖を使用し、右足を内反尖足位として跛行していた。また、起立位では、脊柱は軽度の右凸側弯を示し、上肢には運動障害、筋萎縮、反射異常などの異常所見は認められなかった。さらに、脊柱の自動運動は制限され、強直性が強く、頸椎及び腰椎に他動的に運動を行わせようとしても、反射的に抵抗が増す状態であった。また、腹臥位における検査では、傍脊柱筋、臀筋ともに右側に軽度の筋萎縮を認めたが、とくに著明な圧痛点はなかった。仰臥位における検査では、右下肢は軽度の外旋位をとり、右足は内反尖足位を呈していたが、両下肢の周計(太さ)の間には、計測上で著明な差はなかった。右膝の屈曲は、自動が約一〇度(他動では約九〇度)、足関節の背屈は右五度(左一五度)と制限され、筋力の低下が認められた。しかし、下肢の腱反射にはとくに異常を認めず、病的反射も認められなかった。知覚障害については、右下腹部から右下肢にかけて触覚の低下があり、右足背外側部には痛覚の低下も認められた。さらに、起立位では右足は尖足位をとり、足関節の背屈はマイナス一〇度となり、重力に抗しての足関節の背屈は困難であった。歩行は、杖を使用しても不安定であり、右下肢の引きずり歩行をしていた。

8  ビデオカメラ等による撮影

原告は、平成五年五月二九日午後五時ころ、自宅を出て、幼児を乗せた乳母車を押して歩く娘と肩を並べるようにして歩き始め、その後間もなく、原告が娘に代わって乳母車を押して歩いていた。その際、原告は、スニーカーを履いていたが、右足の方は、スニーカーのかかとを踏んで履いており、一人で歩いている際にも、乳母車を押して歩いている際にも通常人の歩行とほとんど変わらない歩き方をしており、右足を引きずるような歩き方はしておらず、杖やこれに類する身体を支える道具は一切使用していなかった。そして、原告は、同日午後五時一五分ころ、フードショップ「鶴保」に着き、同店で買い物をした後、再び歩いて原告宅に戻った。右帰宅途中も、原告は、初めは乳母車を押して歩き、その後は、乳母車を押すのを娘と交代して、原告がビニール製の買い物袋を左手に持って歩いていたが、その歩き方も通常人とほとんど変わらず、杖等も使用していなかった。この原告の外出時の様子は、株式会社大日本リサーチの調査員によって、カメラとビデオカメラで原告の知らないうちに撮影された(なお、原告は、右ビデオテープが編集の段階で補助参加人側に不利な部分を故意に削除したものであると主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。)。

二  損害

1  治療費 三五九万九七九〇円(請求四四六万七七九〇円)

前記一2で認定したとおり、原告が本件事故当日に治療を受けた徳州会野崎病院では、右肩、右胸部、腰部、両下肢打撲の病名で約一週間の通院加療を要する見込みであるとの診断があり、症状はゆるやかな改善傾向にあったが、前記一4で認定したとおり、本件事故の一ヵ月余り後から二年余りにわたって愛和クリニックで治療を受けている期間中は、症状が徐々に悪化し、前記一5で認定したとおり、本件事故から二年余り後に国立大阪病院の精密検査で腰椎椎間板ヘルニアが認められ、腰痛と右下肢の運動知覚障害の原因のひとつに腰椎椎間板ヘルニアが関与しているとの診断の下に、第四、五腰椎の髄核摘出術と第三、四腰椎の椎弓切除術を受けたものの、症状が改善せず、前記一6で認定したとおり、昭和六〇年八月五日に症状固定と診断されているのであって、このような原告の症状及び治療経過に、前記一1で認定した本件事故状況によれば、原告は背後から被告車に衝突され、衝突地点から0.6メートル先の地点に転倒していることから、本件事故によってある程度強い衝撃が原告の身体に加わったと解され、これが腰椎椎間板ヘルニアの発症の機転となり、本件事故からしばらく後に、腰椎椎間板ヘルニアに基づく症状が徐々に出現し、増悪していったと解するのが相当である。したがって、腰椎椎間板ヘルニアと本件事故との間に相当因果関係がないとの補助参加人の主張は採用できない。

そうすると、昭和五八年一月二九日から同年二月二六日までの徳州会野崎病院における治療費五万二八八〇円(甲一五、一六)、同年三月七日から昭和六〇年四月三〇日までの愛和クリニックにおける治療費一九九万七一二〇円(甲一八ないし六九)、昭和六〇年四月二三日から同年八月五日までの国立大阪病院における治療費一五四万三二四〇円(甲七一ないし八六)、国立大阪病院に入院中の昭和六〇年七月七日に同病院の医師の指示に基づき大野病院でCT検査を受けた際の費用六五五〇円(甲一七二、第一回原告本人)については、本件事故との相当因果関係が認められる(合計三五九万九七九〇円)が、佐藤治療院の治療については、徳州会野崎病院の医師は、原告が佐藤治療院の針治療を希望していることに関して、消極的な見解を示しているうえ、佐藤治療院での治療期間中に、症状が徐々に悪化していることからすると、佐藤治療院の針治療については、その必要性が認められないというべきである。

2  入院雑費 一〇万五〇〇〇円(請求同額)

前記一5で認定した入院治療の状況に、前記二1(治療費)における判示内容を併せ考慮すれば、入院雑費としては、一〇万五〇〇〇円(入院日数一〇五日に原告主張の一日当たり一〇〇〇円を適用したもの)となる。

3  入院付添費(請求六万八〇九〇円)

原告が入院付添費として請求する昭和六〇年五月一七日から同月二三日までの七日間について、付添看護を要しなかった(甲七五)から、原告の右請求は理由がない。

4  交通費 二三万七七三〇円(請求同額)

原告は、前記一4で認定した愛和クリニックヘの通院のための交通費として二二万一七六〇円を要し(甲一四八、一四九)、国立大阪病院の入通院と、同病院での手術準備のため外泊した際にタクシーを利用し、タクシー代として一万五九七〇円を支払った(甲一七九ないし一八一)。そうすると、交通費に関する原告の請求は理由がある。

5  休業損害 五六九万三二〇五円(請求六八九万九四三九円)

原告は、昭和二一年五月三一日生まれ(本件事故当時三六歳)で、本件事故当時、スナックを経営していた(甲一、四五二、第一回原告本人)。

右事実によれば、原告は、本件事故当時、昭和五八年賃金センサス女子労働者学歴計三五歳から三九歳の平均年収二二六万一三〇〇円(三六五日で割った一日当たりの金額六一九五円。円未満切り捨て、以下同じ。)の収入を得る高度の蓋然性があったと解される。そして、前記一2ないし7で認定した原告の症状、治療経過からすると、本件事故と相当因果関係のある休業損害は、五六九万三二〇五円(本件事故当日から症状固定日であると解する昭和六〇年八月五日までの九一九日間について、前記日額六一九五円を適用)となる(なお、証人小野村敏信の証言、鑑定の結果によれば、昭和六一年当時が症状固定時期であるとしているが、前記一2ないし8で認定した原告の症状、治療経過からすると、原告が国立大阪病院から退院した日である昭和六〇年八月五日をもって症状固定とする甲一四六の後遺障害診断書の記載を採用すべきである。)。

6  逸失利益 一七一万四八六一円(請求二五一二万五八五二円)

前記一5ないし8で認定したところによれば、本件事故から二年余り経過後に国立大阪病院で前記手術を受けた後も、前記一6で認定した右下肢を中心とする頑固な自覚症状があったものの、腱反射に特別な異常はなく、単純レントゲン検査、ミエログラフィー、CT、NMR―CTなどの諸検査では、右症状を説明できるような所見はなかったうえ、前記一7で認定したとおり、両下肢の周計に計測上で著明な差がなかったのであり、しかも、原告は、平成五年五月当時までには、ほぼ正常に歩行できる状態に回復していることが認められるのであるから、原告については、右症状固定日である昭和六〇年八月五日から七年間(中間利息の控除として九年間の新ホフマン係数7.2782から二年間の新ホフマン係数1.8614を控除した5.4168を適用)にわたり一四パーセントの労働能力を喪失した範囲内で本件事故との相当因果関係を肯定すべきである(なお、鑑定人は、原告の後遺障害が自賠法施行令二条別表七級四号に該当するとの見解を示しているが、前記判示に照らして、右見解は採用できない。)。

そうすると、逸失利益は、一七一万四八六一円(前記年収二二六万一三〇〇円に前記労働能力喪失期間と喪失率を適用)となる。

7  入通院慰謝料 一四〇万円(請求二〇〇万円)

前記一2ないし8で認定した原告の症状、治療経過に、前記二1(治療費)の判示内容、その他一切の事情を考慮すれば、入通院慰謝料としては、一四〇万円が相当である。

8  後遺障害慰謝料 一八八万円(請求八〇〇万円)

前記一で認定した症状固定日当時における原告の症状に、前記二6(逸失利益)の判示内容、その他一切の事情を考慮すれば、後遺障害慰謝料としては、一八八万円が相当である。

三  ところで、原告が本件事故に関し、一四九三万六〇四〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがないところ、原告の本件事故による損害は、一四六三万五八六円(前記二1、2、4ないし8の損害合計額)であるから、原告の損害は全額が填補されているといわなければならない。

したがって、原告主張の弁護士費用(請求一〇〇万円)を被告に負担させるのは相当でない。

四  以上によれば、原告の請求は理由がない。

(裁判官安原清蔵)

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